「鳴美……、そろそろ起きよう……。 遅刻するぞ……」
低血圧の極みを行くこの愛しい我が恋人は、本当に寝起きが悪い。
まず、何回か問い掛けたくらいじゃ、うんともすんとも言わない。
名前を優しい声で呼びながら、華奢で少し頼りない肩を揺さぶり、ふわっふわの髪を掻き撫で、整った顔の一番の魅力とも言える、
その程よい薄さの滑らかな唇にキスを落とす。
「ん……」
そこまでして、ようやく身じろぎ一つ。
俺はベッドの端に腰掛けると、昨夜の淫らな行為のせいで上半身は一糸纏わぬ身体の鳴美をシーツにくるんだまま軽く起こしてやる。
「ぅ……?」
それでようやっと、我が姫が目を覚ます。
長い睫毛に縁取られた伏し目がちな瞳は、まだ常の半分も開いていない。
辛うじて、光を認識している程度だろう。
痛みがあるだろう腰に負担をかけないように注意しつつ、鳴美を横抱きに抱えてそっと立ち上がった。
幾らか目が覚めてきた鳴美は、ゆっくりと俺の首に腕を回しかける。
居心地の良い場所を見つけようと俺の胸に顔を擦り付け、猫のように首を少し丸める。
俺は、毎朝繰り返されるその光景に、くすりと口角を吊り上げた。
鳴美は情事に耽った翌朝は風呂に入る。
一応行為の後に俺が身体を拭いてやるのだが、そこは譲れないらしい。潔癖っぽいところもまた、鳴美のもつ特徴の一つ。
だから俺がこうしてバスルームまで抱き上げつれて行く。
バスルームにつく頃には鳴美の意識もそれなりに浮上し、一人でシーツと衣服を脱いで風呂に入る。
俺はその間に朝食を作る。大抵、朝はトーストに軽い卵料理、ベーコンを焼いてサラダも。
忘れてはいけないのは、カットフルーツと砂糖がどっさり入った甘いヨーグルトだ。
鳴美はこれがないと朝食を食べない。甘いものなしでは生きていけないようだった。
鳴美の風呂は大体20分くらいで終わってくるから、その間に手際よくそれらの料理をこなしてゆく。
鳴美が風呂からあがってくると、おはよう、と笑いかけてみる。
すると、鳴美もふと笑っておはよう、と言う。 今日、彼の声はやっぱり少し掠れている。
鳴美はそのままリビングの続きになっている隣の洋室に行き、朝の弾き慣らしをするようだ。
比較的短い曲を弾くのだが……、今朝はどうやら『子.犬の.ワルツ』を弾くようだ。
子.犬のワ.ルツは、鳴美の好む曲でもありよく弾かれる。他には、木枯ら.しのエチュ.ードや、ラ・カ.ンパネッ.ラなど。
軽快なリズムを、鳴美は寸分の狂いもなく奏でてゆく。
鳴美が曲を弾き終えるタイミングを見計らってダイニングのテーブルに料理の皿を並べる。
コーヒーメーカーからコーヒーをカップに注ぎ、ミルクと砂糖を用意して鳴美を呼ぶと、丁度良い頃合いになっている。
「鳴美、朝飯」
「あぁ、今」
鳴美はピアノの蓋を閉じると、テーブルの席につく。
「いただきます」
鳴美が手を合わせて言うのを聞き、俺も同じように動作する。
俺が起きた時から点けているテレビでは、若いアナウンサーが今日の運勢を発表している。
『今日最も悪い運勢なのは…、ごめんなさい、牡羊座のあなたです』
うわ、朝からテンション下がるようなこと言わないでくれよ……。少し、悲しくなってうなだれた。
「あーぁ…、今日は女に気を付けろだと」
鳴美が同情するような声色でぐさり、と刺さる追い討ちの言葉をくれた。
「あ、それはどうも」
ぐったりとした声で言えば、くすりと鳴美が笑った。
ばーか、と言った鳴美は、ヨーグルトに手を伸ばしていた。



「っしと…、じゃあそろそろ行くか」
「ん、あぁ」
鳴美は、俺の声に弾かれたように立ち上がり、徐に準備を始めた。
俺は、食器を食洗機の中に入れ終えると、部屋の戸締まりを確認し、荷物を取りに自室へ戻った鳴美を呼びながら、部屋を出た。
「鳴美ぃ、行くぞ?」
「ん、大丈夫だ」
連れだって玄関を出て、鍵を掛けてエレベーターに向かった。
フロアを歩いていれば、同じ階に住む中学生が挨拶をしてきた。
鳴美に積極的に話しかける彼女は、どうやら鳴美にピアノの教えを請いたいらしかった。
鳴美は鳴美で、淡々と曲調や演奏技法などを説いていた、……が、腕時計を見た俺は、鳴美を半ば無理に引っ張って行く。
エレベーターの中で文句を言われたが、今は職員会議が重要だ。
鳴美は呆れたように俺を見ていたが、職員会議の存在を教えると、自嘲した笑みを浮かべた。
再度鳴美を引っ張って、驚きを表す唇に、自分のそれを重ねた。
鳴美は赤面し、脚を蹴ってきた。
あんまり痛くて、い"っ!?と奇声をあげる。
今日も今日とて、そんな穏やかな日常だった。