1

「黒矢、早くしなさい! 寛貴くん待ってるでしょう!」
階下からさくらの急かす声が聞こえてくる。
「分かってる……! あ、アレ忘れてた!」
急いでスポーツバッグに物を詰めていくが、そのたびにアレもコレもと、必要かもしれないと思う物が増えていく。
今日―12月20日―から、年明けまで、寛貴の家にお泊まりなのだ。


今日の学校は、午前中で全ての時間割が終わった。
ほぼ、ロングホームルームだけだったのだが、他にも700人を超す全校生徒が広い広い講堂に集まっての全校集会や、今二学期の成績通知票の配布などが行われた。
家に帰ってきてから暫く経って、寛貴が黒矢の家まで迎えに来てくれたのだが、黒矢はと言えば用意に手間取っていてまだ家をでれる状況ではなかった。
ということで寛貴は今、岡波家のリビングにて黒矢の母である美津子や姉のさくら、弟の武瑠と談話を楽しんでいる。


「寛貴くん、本当に黒矢がお世話になっても大丈夫かしら……? あの子、少し我が侭だったりするから……」
美津子が言う。黒矢のことは中学時代の問題もあるため、上のさくらや下の武瑠のよりも、少し心配なようだった。
「大丈夫ですよ。こちらこそ、本当に俺が黒矢をお預かりしても……?」
「大丈夫よ。寛貴くんには、私が太鼓判を押させて貰うわ。だって、こんなに良い子だものv」
さくらが横から言う。今日初めて面と向かって喋ったのだが、さくらはすっかり寛貴が気に入ったようだった。
「さくらさんに、そう言って頂けるなら……」
寛貴は安堵の笑みを浮かべた。
母も、姉も、気があって話が弾んで、寛貴としては、幸いなことこの上なかった。ただし、一人を除いては。
「母さんも姉貴も、なんか信用しすぎじゃねぇの? いきなり来た男友達だぞ。兄貴がどんな目にあったか、忘れたのかよ?」
「武瑠!! 何言ってるの。変なこと言わないでよね」
リビングの隅の扉の傍に突っ立っていた武瑠が言う。途端にさくらが咎めた。
咎められた武瑠は、寛貴をぎり、とにらんで、居心地の悪くなったリビングから出ようと、傍の扉に手を掛けた。
「失礼しましたね。 寛貴、さん」
寛貴にわざと強調した口調で言って出ていくと、扉が盛大な音を立てて閉まった。
「ごめんなさいね、寛貴くん。なんだかあの子、黒矢の事があってから、すごく警戒するようになっちゃって……」
美津子が、すぐに謝りをいれる。さくらは弟の態度にすっかり怒ってしまったようで、ぷんぷんしている。
「なによ、あの子。寛貴くんはとってもいい子なのに……」
「あ、そんな気にしないでください。警戒したくなるのは、よく分かりますから……」
そうかしら……?と美津子は申し訳なさそうに言った。さくらはまだ怒っているようだった。


武瑠は、リビングを出て、廊下の階段を二階へと登っていた。
「あ、るぅ君。」
るぅ君、と自分を呼ぶのは一人しか思い浮かばず、顔を声の方に向ければ、その人が居た。
「寛貴とはもう話した?」
丁度登り終えたところで、自室から、用意を終えて出てきた黒矢だった。
「兄貴……」
武瑠は、先程寛貴に浴びせてきた酷い言葉に多少罪悪感を感じ、なんとも言えぬ表情で黒矢を見つめた。
「るぅ……君?」
武瑠は、伏し目がちに俯いた。そしてすぐに顔を黒矢の方へと戻す。
「兄貴さ、寛貴…さんと、そういう関係なんだろ?」
単刀直入に聞けば、黒矢の顔は見る見るうちに赤くなっていく。
「なんで……、わかっちゃうの? さくら姉ぇもるぅ君も……」
赤い顔を両手で隠して、もうどんな顔をしていいか分からないようだ。
「別に否定しよう、ってワケじゃない。ただ……、兄貴は今、幸せ?」
黒矢は、武瑠の声に含まれた真剣さを聞き取った。顔をちゃんと向ければ、武瑠と目があった。
武瑠は真剣な眼差しを黒矢へ向けて、応えを待っている。
(今なら、寛貴と居て幸せだって、ちゃんと言える)
「……幸せだよ。寛貴と居るから、俺は昔の明るかった俺を取り戻せた」
確信を持ち、微笑んで言う黒矢に、武瑠は安心を得た。
「……そっか。じゃ、お泊まり、楽しんでこいよ、兄貴」
何か含んだ笑みを浮かべながら言うと、武瑠は黒矢の横をすり抜けて自室へと入っていった。
「るぅ、君? ……あ!急がなきゃ!」
一人取り残された黒矢はきょとんとしていたが、すぐに急いでいたことを思い出して階段を下っていった。
兄が階段を降りるどたばたの音を聞きながら、武瑠は、先程の失礼だった言葉はあとで謝るかな、とそっと思った。