4 風呂の浴槽の中、寛貴は一つ、深いため息を吐いた。もう身体は十分に洗ってさっぱりしたので、湯に浸かっていた。 長い髪を両手で掻き上げて、頭のなかのぐるぐるをどうにかできないだろうかと「あ゙〜」という何とも気持ち悪い低音の奇声を発した。 寛貴に悩みはあまりない方だが、黒矢とこういう仲になってから、考えることが増えた。 今、自分がこんな風に同級生である黒矢という一人の人間だけを求めている理由はなんなのだろう。 一度考えると答えが出るまで諦めたくないのが寛貴だ。 風呂の湯に浸かりながらこうして考え事をするのも少なくはない。 寛貴は水華の中等部にいた時、簡単に云えば上辺は優等生、裏は遊び人だった。 家の権力をこれでもかと言うほど使ったのも、この時代だ。 遊び人と言っても、不良ではなく、家の銘柄もあったので煙草を吸う、なんてことはしていなかった。 女は周りから寄ってきてそっちの方が不自由になったことはないし、金だって家が裕福で幾ら使おうが問題なかった。 バスケだけはまともにやっていたので龍暁とはその頃から仲が良かったが、寛貴の遊び様に彼がいい顔をしたことは決してなかった。 寛貴は何か一つに執着したことなんてなかった。何だって手の届くところにあったから、 一つ一つの物の価値なんてみんな同じにしか感じなかった。 自分が楽しけりゃそれでいいと思ったことだってあったし、他人のために何かするときは自分の利益を確実に考えて行動していた。 その自分が、あの時から変わった。否、変わることが出来た。 高等部に入学したての頃、体育館で行われたバスケ部入部テスト。 テスト会場になっていた体育館では一人、バカみたいに身体が小さく華奢なヤツが居る、と噂がたっていた。 その噂の的になっていたのが黒矢だった。 黒矢は、バスケには不向きとも言える小さい体を逆に利用ししかも駆使した圧倒的なアクロバティックプレイを見せた。 一見筋肉が付いているようには見えない細い脚がもつ脚力はテストに来ていた誰をもしのいでいた。 身長で高いところに行けないなら、自分の脚を使ってでも行ってみせる。 その高度なプレイスタイルを中学生の頃周りへ披露することは無かったようだが、今では、水華に知らない者が居ないほど有名だ。 強いチームでバスケをやっていてもなかなかお目にかかれないクラスのアクロバティック。 空気を切って華麗に跳ぶ黒矢の姿に、テストの時に一番魅了されたのは寛貴だった。 テスト上の紅白戦で、ドリブルで何人もを抜き去った黒矢を止めてしまおうと目論んでいた寛貴は、あっという間に横をすりぬけられた。 その颯爽と駆け抜けてしまった時の風に、寛貴は一瞬、動くこともできずただ立っているしか出来なかった。 自分の中に生まれた衝撃、衝動、ざわつき。何故こんなにも胸が高鳴るのだろう。 これは、新たに超えたいものを見つけた喜びなのか? いや、これは―――、恋……? 一目惚れ、だったのだ。 最初のうちはなかなか心を開いてくれない黒矢の、一番近い所に自分の居場所を作ろうと必死だった。 ――なぁ、岡波! ――……何か用? 最初のうちはとことん寛貴を避けて、暗くふさぎ込んでいた黒矢。それでも絶対に寛貴は心を開いて貰おうと諦めなかった。 初めて欲しいと思った彼を、容易く手放そう等と思えなかった。 岡波、だった呼び方が、黒矢に変わったのはいつだったんだろう。 ――あの、さ。玉田じゃなくて、寛貴、って呼んでもいいかな……? ――………。あぁ、もちろん! じゃぁ、俺も黒矢って呼んでも、良いか? ――うん。 そうだ、最初に名前で呼ぶことを言って来たのは黒矢だった。笑顔でうん、と返事をしてくれた黒矢は本当に可愛かった。 実際、口や顔には出さなかったが、本当に黒矢を抱きしめてしまいたいと何度も思ったものだ。 そうだ。一目惚れ。一目惚れしたんだった。 なぜ好きだったか、今まで忘れていたのかもしれない。 何故。それは、黒矢が黒矢だからだ。黒矢が居なかったら、中学時代同様なんでもどうでも良く感じたはずだ。 "運命"。ふと、そんな言葉が浮かんだ。黒矢と出逢ったのは、運命だ。 なんだ、案外簡単に答えが出た。 運命なら、俺が黒矢を好きにならないわけがないんだ。ということだ。 (まぁ、不都合な運命だったら、勝手にねじ曲げてやるけどな……) 不敵な笑みを浮かべつつ、寛貴は風呂からあがると、脱衣所で急いで着替えを済ませ、寝室で待つであろう黒矢の元へと向かった。 少し風呂に浸かりすぎたか、と思いつつ、今晩のメニューを考えた。![]()