2.


黒矢には思い出したくない過去があった。



黒矢は、IT企業の社長を父に持ついわゆるおぼっちゃま、だ。
父と母は人と比べられるのが嫌いで、その二人に育てられた黒矢も当然そのような思考になっていた。

ただ、周りが周りだ。

上昇志向の強い者ばかりの中で幼少の頃から姉とよく比べられた。
姉だって元は普通の家庭で育った両親に育てられたから、
別に何かがずば抜けてできるわけではなかったのに。


母は元々体の弱かった黒矢に、姉と同じようなことをさせた。
ピアノ、バイオリン、華道に習字。
家に居て、外で遊ぶこともなくただ姉の行っていることを追うだけの日々。
それは、結果的に女の子であった姉と比較される原因となってしまった。



「男の子でピアノが出来ても、それだけじゃあねぇ…」

「運動神経もよろしいと聞いてますし、もっといろんな事が出来るんじゃないの?」



「…それに比べ、お姉さまの方はとっても優秀でらっしゃるのね」

「学問のほうも出来るようだし…、まして運動がお好きなんですものね」



ヒソヒソ声で喋っているつもりだったのだろうが、黒矢にはしっかり聞こえていた。
辛くて苦しくて痛くて涙が出てきそうになって何度も部屋に閉じこもった。
別に、黒矢自身は比較対照の姉自身のことは嫌いではなかったのだ。
ただ、自分が誰かと比べられるのが嫌なだけ。



純粋に、何かひとつだけでも姉より秀でたものが欲しい。
たったひとつで良い。姉には出来ないなにか。姉がやっていない何か。


そう思って、まだ水華学園の初等部の時始めたのはバスケだった。
元々運動神経の良かった黒矢はすぐに上達した。
体力や身長が追いつかなくても技術で挽回した。
毎日夜まで練習して誰にも頼らずに自分だけの力で。。


入ったチームでもすぐに頭角を現し、周りからも人気者になっていた。
特に友人関係では、困ったこともなかった。
同じような境遇の友人達が沢山居たからだ。


「黒矢は俺たちの中でも特にすごいもんな!」

「だよなぁ、いいな。オレももっと練習しなくっちゃ」



周りの友人からそんなふうに言われることが今まで非難の対象
としか見られなかった、褒められることのなかった黒矢にとっては最高に嬉しかった。


でも努力は報われない。


どんなに頑張っても自分だけが変わって周りは変わらない。

「バスケをしていたからといっても私立でやっていたらもちろん上手くなるだろう」

偏見で見られ比較がなくなるわけではなかった。
それは、黒矢の一度安心しきっていた心をまたも暗い闇の中に押しやった。


『もっと、違う環境で何かしなきゃならない。そうじゃなきゃ』



…誰も認めてくれない。


黒矢は次第にそう思うようになっていた。


そして黒矢は水華学園初等部を卒業したあと、中等部に進むのではなく、
家からほど近い公立中学校に入学することにしたのだった。


両親、それに姉にはかなりの反対をされた。
けれども、黒矢には耐えられなかった。
もうずっと『比較の対象』でいることは黒矢に余計な不安と自立心を覚えさせていた。


『どんなに苦しくても耐えなきゃならない』

『それ以上に何か結果を残さなきゃ誰も認めてはくれない』

半ば狂ったその選択は黒く澱み濁った色を見せかけていたのに。

気付く者は誰も居なかった。


…黒矢を想い守ってくれる人は、いなかったのだから。


その選択が大きな苦しみの第一歩になってしまうとは知らずに
黒矢は、正しいと思った自分に心の落ち着きを求めていたのだった。